人工心肺領域における人間側の安全対策

はじめに
 近年、医療安全への関心が高まり、人工心肺領域でも安全装置設置基準の勧告とガイドラインをベースにシミュレーション教育、マニュアル整備等が行われ、安全と質の向上について議論されている。2013年にAmerican Heart AssociationからPatient Safety in the Cardiac Operating Room:Human Factors and Teamwork:A Scientific Statement from the American Heart Association(邦訳:心臓手術室の医療安全:ヒューマンファクターとチームワーク:米国心臓協会からの科学ステートメント)1)が報告され心臓手術における周術期リスクとヒューマンエラーを低減するための対策が示された。この中で人工心肺の人間工学的デザインの問題点を指摘し、情報ディスプレイの位置、情報の可読性、警報音に問題があると指摘している2)。
   国内では、工藤ら3)は人工心肺操作中の臨床工学技士の精神的負担を心拍変動と作業負担評価尺度によって測定し大動脈遮断解除時と離脱操作時に負担を高まることを明らかにした。また、Tomizawaら4)は人工心肺中の大動脈を遮断する前後5分間の眼球運動をアイトラッキングシステムにより測定し、経験年数の高いものは情報モニター等への視点の動きがあったのに対して経験年数の浅いものはリザーバの液面レベルに視点が集ると述べている。このような研究報告はあるものの人間の特性を踏まえた安全対策や環境整備の報告は多くはない。人工心肺は人工心肺装置と人間の相互作用により医療を提供している。安全対策は装置や管理法の向上だけでなく人間の特性を理解した上でヒューマンエラー対策を講じなければならない。

 

人工心肺のメインの仕事は状況認識
  Perfusionistのメインの仕事は鉗子の操作や流量の調整ではなく主な仕事は頭の中で行われているとされている5)。それは状況の観察、状況の理解、先の状況の予測である。様々なバイタルサインや術野モニター、血液の色、リザーバーレベルの観察し、そして観察した情報から患者さんや人工心肺の状態を理解する。そしてこれから何をするべきかと先の状況の予測である。この予測をもとに行動(操作)が実施される。操作自体は単純であるため、今何が起きているのかを正確に把握するのが人工心肺の主な仕事だと考える。この状況の観察、状況の理解、先の状況の予測の3つを心理学的構成概念では状況認識という。

 

状況認識エラーと人工心肺重大事故事例
  Perfusionistは状況認識を繰り返しながら人工心肺を管理している。しかし人間が処理できる情報量や同時に管理できるタスクには限界がある6,7)。また1つのタスクに集中すると、他の情報の変化を観察することへの注意が損なわれる8)。人工心肺の重大事故事例では、鉗子操作を誤ったことで貯血槽が空になったが人工心肺操作者がそのことを見逃し患者に空気を誤送した事例や、心筋保護注入回路から空気が冠状動脈に送られたが手術スタッフはそのことに気が付かず心臓の動きが再開しなかった時に状況が理解できず原因の特定に至らなかった事例が報告されている。また脱血不良を改善することなく手術を継続した結果、血管透過性が異常に亢進、全身状態が悪化し患者が死亡するなどの状況認識エラーが見受けられる。このように人工心肺は状況認識エラーを生じやすい環境であり、複数の要因が重なることで重大事故に繋がりかねない。

 

状況認識に影響するデザイン
 人工心肺領域の安全を高めるには、Perfusionistの状況認識を支援する必要がある。状況認識を支援する方法の1つとして環境のデザインがある。医療機器は全てとは言わないが使いやすくデザインされていない。これは医療職という「専門家だから使えて当然」と言った風土、そして操作間違いは個人の能力不足・注意不足であるといった考え方がそれを容認してきた9)。医療機器の使用に注意を必要とするため、患者や他のものに注意が向かず結果として人間がエラーを犯す。この解決には使いやすい医療機器の設計・開発と病院側はその使いやすい医療機器を選択することが重要である。医療機器の誤った使用は人間の責任ではなくデザインに問題あり、そして使いやすいデザインには法則がある10)。①一貫性の保持と標準化に努める。②システム状態の視認性を高める。③実環境に合ったシステムを構築する。④ユーザーに主導権と自由を与える。⑤エラーの発生を事前に防止する。⑥記憶しなくても見ればわかるようなデザインを行う。⑦柔軟性と効率性を持たせる。⑧最小限で美しいデザインを施す。⑨ユーザーによるエラーの認識、診断、回復を可能にする。⑩ヘルプとマニュアルを用意する。このような人間中心設計の概念を意識してデザインされた医療機器は限られている。人工心肺装置だけでなく全ての医療機器が分かりやすく、使いやすければ医療者の負担軽減となり医療事故の低減に繋がるだろう。

 

人工心肺と技術革新
 人工心肺システムでも近年、自動化システムの開発に関する研究が活発になってきている。自動化が進むシステムにおいて人間とシステムとの相互作用を示す上で状況認識は重要だと考えられる11)。最近では、コンピュータ化による高度・複雑化するシステムの発展におけるインタフェースのあり方が状況認識の視点から説明されている12)。芳賀は「システムが複雑になるとオペレータのメンタルワークロードが増大し、異常時等に過負荷となったオペレータがエラーをおかしがちになる。その対策としてシステムの自動化、コンピューター化を進めるとメンタルワークロードは低減するが、状況認識が難しくなり、状況認識を誤ったオペレータがエラーをおかす。」と述べている13)。航空業界や他の産業界で発生した問題を参考に、人工心肺システムでも状況認識を誤ることのないインタフェースデザインの開発によりPerfusionist状況認識を支援する必要があると考える。

 

おわりに
 人間は同じものを見ていても経験や知識によって、今何が起きているのかの理解やこれから何が起きるかといった予測に齟齬が生まれる。そして人間が処理できる情報量や同時に管理できるタスクには限界がある。このような人間の特性を踏まえた人工心肺装置のデザイン等の環境改善が必要だといえるが、現段階では不十分であると考える。しかしそれは今以上に人工心肺の安全を高めることができ、研究する領域がある事を意味する。この課題を解決することが人工心肺領域における医療事故低減に繋がると考える。

 

引用
1) Wahe,JA et al.(2013).Patient Safety in the Cardiac Operating Room:Human Factors and Teamwork:A Scientific Statement from the American Heart Association.Circulation.128,1139-1169.(日本語訳:心臓手術室の医療安全:ヒューマンファクターとチームワーク:米国心臓協会からの科学ステートメント.日本心臓外科学会. http://jscvs.umin.ac.jp/images/circulation2015.pdf)
2) Douglas Wiegmann et al.(2009).A Human Factors Analysis of Cardiopulmonary Bypass Machines., J. ;41:57–63.
3) 工藤剛実,本田ふく代,加藤由美,植木章三,今城周造.(2009).人工心肺装置操作における臨床工学技士の精神的負担についての研究.体外循環技術,36,4,343-348.
4) Yasuko Tomizawa,Hirotaka Aoki,Satoshi Suzuki,Toru Matayoshi,Ryohei Yozu.(2012). Eye-tracking analysis of skilled performance in clinical extracorporeal circulation. J Artif Organs.15:146–157.
5) 百瀬直樹.(2018).安全工学とリスクマネージメント.一般財団法人日本体外循環技術医学会.教育セミナーテキスト第34号.73-84.
6) 岡耕平(2014).心理学からみた医療安全.安本和正(編).医療安全と医療訴訟.15-45.株式会社イムジック出版.
7) Crown, Nelson.(2001).The magical number4in short-term memory: A reconsideration of mental storage capacity. Behavioraln and brain sciences,24,1,87-185.
8) 三浦利章.(2007). 運転時の視覚的注意と安全性. 映像情報メディア学会誌,61,12,1689-1692.
9) 原田悦子.(2007).認知心理学から考える医療安全とデザイン.三浦利章,原田悦子(編).事故と安全の心理学リスクとヒューマンエラー.167-187.東京大学出版会.
10) Jeff,Johnson.(2015).UIデザインの心理学-わかりやすさ・使いやすさの法則,(翻訳者,武舎広幸/武舎るみ).インプレス,原書刊行年2014年.
11) Neville A. Stanton, Paul M. Salmon,Guy H. Walker.(2015). Let the Reader Decide: A Paradigm Shift for Situation Awareness in Sociotechnical Systems. Journal of Cognitive Engineering and Decision Making,9, 1, 44–50.
12) Endsley,M.R.(1993). A Survey of Situation Awareness Requirements in Air-to-Air Combat Fighters. The International Journal of Aviation Psychology,3,2,157-168.
13) 芳賀繁.(2011).注意・安全とメンタルワークロード.原田悦子,篠原一光(編).注意と安全.166-185.株式会社北大路書房.

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